伊藤住宅物語
いい家づくりを求めて
伊藤住宅の歴史は、
いい家づくり追求の歴史でもあります。
幼い頃抱いた想いを胸に
これからも家族が幸せになる住まいを
つくり続けていきます。

代表・伊藤のこれまでと想い
scene.1
大きくなったら大工になるという夢を抱いて
私はここ酒田で生まれ育った生粋の酒田っ子です。親父が大工であった為、物心ついた時から木の匂いとノコギリや金づちの音、職人たちの威勢のいい声に囲まれて育ってきました。こんな環境の中で育ったせいか、小学校の時の「 将来の夢 」という作文には「 大きくなったら大工さんになる。」と書いていました。正直に言うと、そんな事を書いた記憶は全くなかったのですが、20年後に開封したタイムカプセルにハッキリと書いてあり、驚きと恥ずかしさを感じつつ、その時の自分に「夢、叶ってる」と伝えたくなりました。scene.2
大工になることを反対された高3の春

高校三年の時、進路について父と大喧嘩をした事を今でも鮮明に覚えています。それは、私が「 大工になりたい 」と言った事に反対されたからです。
私の父は早くに父親を亡くし、一人親方として語りつくせないような苦労をしてきました。それだからこそ父は「 将来性が無い 」「 自分のような苦労をさせたくない 」との思いで反対したのですが、当時の私には、それに反論し納得させられるだけの言葉を持っていませんでした。私はただ「 かっこいい 」という事しか言えなかったのです。大きな木材を何百本も切り込み、組立、骨組みをつくり、そこに肉付けをする。何もなかった空間が木と職人の技術で人が住める状態になる。そして家族が長い間生活できる、みんなが帰ってくる場所になっていく・・・「 そういう夢のある仕事を自分の一生の仕事にしたいんだ 」今ならそう言えます。
そして卒業後、とにかく外の飯を食って来いと諭され、サービス関係の仕事につきました。初めて「 働く 」という経験をして、怒られながらもたくさんの事を教えていただきました。その仕事に遣り甲斐を感じてはいましたが、やはり夢をあきらめられない私は、修行するなら少しでも若い方がいいと考え、思いきって退職する事にしました。そして大工見習いとして地元でも住宅を多く手掛けている建築会社で働き始めました。
その会社には当時50歳~60歳代の職人が15人もいました。そのほとんどが一人親方として働いていた腕のいい職人でした。
scene.3
職人たちに囲まれた見習い時代

まったくの素人の見習いですから朝一番に現場に行き、掃除、お茶くみ、足場掛けや材料の発注の伝言はもちろん、上り酒を飲んだ職人の送迎など、大工には関係ないような雑用も自分の仕事でした。若い人が入ってきても仕事の大変さや職人の暴言ですぐに辞めていき、いつになっても私は一番下っ端でした。
しかし、今思えばそこは大工を目指す人間にとって素晴らしい環境でした。腕のいい大勢の職人に叱られながらも基礎から教わり、たくさんの職人仕事を間近に見る事ができ、精神的にも鍛えられました。そのうえ大工の職業訓練校にも通わせていただき、技能士の資格を取ることが出来ました。
五年後、年季明けを迎えた私は父 ( 当時伊藤建築 ) の会社で仕事をするようになりました。棟梁の仕事である墨付けをさせてもらう傍ら、設計も自分で手掛けていました。家を造るだけではなく、いつもこんな事を考えながら仕事をしていました。「いい家とは・・・?」
scene.4
いい家を建てるための葛藤の中で

下請けで家を数多く建てていた頃もありました、新しい金物工法や新しい断熱工法、SW工法だのHP工法だの。しかし、これでいいのかと疑問に思う事が沢山ありました。様々な工法や断熱手法、Q値やらC値などそこばかり追及するうちに住み手の事が無視されていくような気がしてきます。
現場では土や木、天気など自然を相手に仕事をします。自然は図面やマニュアルの通りにならない事も数多くあります。しかし大手ではマニュアルがあり、現場管理人はそのマニュアル通りにしかできない人が多いのです。「 図面はこうなっているから、この通りにして下さい 」「 工程表はこうですから、この通りに作業を進めて下さい 」柔軟性がなく、時には矛盾した施工を指示され、仕方なく実行することもありました。現場管理人のプライドやマニュアルが優先され、現場の声が反映されない。結果として一番損をするのはお客様なのに・・・
私は「 どんな施工方法が一番お客様のためになるか 」を考えるうちに、現場の状況に臨機応変に対応しながら進めて行く事が一番大切なのではないだろうかと思うようになりました。
目先の利益だけを追求すると、住む人が本当に望んでいる事や現場の状況を無視して、図面通り、マニュアルの通りになることが優先されるのです。とにかく家づくりについて疑問に思う事がいっぱいありました。利益追求型の合理化主義を目の当りにすると「 いつまでも大切にしたくなる家なのか? 」と言う疑問が出てきます。
仕事をしていて、なんだか悪い事に加担しているような気がして、自分の仕事にプライドを持てなくなっていました。「 お客様の希望を叶え、長く住めるいい家を造りたい。自分が目指す家づくりをしたい。そのためには下請けをやめ、自分が元請けするしかない 」と決心しました。それから六年、現在に至るまで下請け工事はしていません。しかし経済的に苦しかったのは事実でした。
scene.5
24時間365日、いい家づくりを考え続けた日々

最初の頃は、話下手な私は打ち合わせ時の説明不足でお客様へ迷惑をかけたり。材料や器具の事などが上手く説明出来ず、納品してからイメージの違いで返品を迫られたり。お客様の言う事だけをそのまま実行し、とにかく安い家をつくった事で完成してからの満足を得られなかった事など、問題が山積で滅入っていた事もありました。
慣れないお客様との打ち合わせや営業活動と現場管理の両方を必死にこなしていき、365日、24時間仕事の事を考えるようになりました。そうすると自分の勉強不足、経験不足を痛感するようになり、設計やデザイン、材料や機器の事、さらには会社の社会的責任などもっとたくさんの事を学ばなければと思いました。仕事の時間以外を勉強の時間に充てて、二級建築士の資格を取得しました。
私は「 どんな施工方法が一番お客様のためになるか 」を考えると、現場の状況に臨機応変に対応しながら進めて行く事が一番大切なのではないだろうかと思うようになりました。
その後は土地から求めるお客様の相談にも答えられるようになりたいと思って勉強し、宅地建物取引主任資格(不動産資格)も取得できました。これらの資格を取得したおかげで立地条件だけではなく建築の視点からも土地に対するアドバイスができるようにもなりました。そして今は住宅ローンの事や法律の事も勉強し、トータルなサポートができるように勉強中です。土地と建物のプロフェッショナルとして常にお客様の目線で考え、いい家を追求してく・・・
この姿勢を追求し続け今年で26年目になりました。
scene.6
いい家づくりだけがお客様の満足につながると信じて

今では、私が目指す家づくりをまとめたコンセプトブックをお客様に読んでもらい、共感していただいた上で家づくりの事をじっくり話合います。さらに現場を知る利点を生かし、お客様と現場の橋渡し役として両方の意見をしっかりと結びつけお役にたつ事ができます。まだまだ経験は浅いかもしれませんが、「 家族が幸せに住まうための住宅 」づくりへの想いはだれにも負けません。
今現在は新築だけでなく年間100件以上のリフォームを手掛けています。そこでもまた様々な気づきがあり、工法や断熱やらの実績での善し悪しが見れます。もともと軽量鉄骨や2×4の場合は長く住む事を前提にした工法ではないため雨漏りなどを直したくても手をつけられない事があります。そのうえお客様には分からないずさんな手抜き工事が見つかったりもします。高度成長期時代の大量生産、大量販売の付けなのでしょう。合理化を求め「売る為の売れる住宅」づくりを行い、利益を最優先した結果だと思います。本当に残念でなりません。そしてハウスメーカーのそういう体制はいまだに変わらないのです。
広告宣伝費や展示場維持費、数多い営業マンなどの売る為の経費が「建物を建てるための費用」の30%~40%も占めているのが現状です。 しかしそんな営業体制のハウスメーカーがブランド化して生き残り、口下手だけど一生懸命現場で仕事をする工務店が潰れる時代なのです。 こんな時代ですから不安でした。いい住まいという理想ばかりを追求していて実際、食べていけるのか・・・しかし、そんな私の不安や迷いを吹き飛ばしてくれる出来事がありました。
それは、あるお客様からのこんな声でした。建てて1年後位にアフター・メンテナンスに伺った時の事です。 私「どっかあんべわりどごないですか?」 お客様「 あんべいぐで困った!伊藤さんや!(笑) 3年前、建でねでいがった。その頃だばまだ伊藤さんさ会てねけさげの~、こんだあんべいい家、建でらんねけ~。伊藤さんさ出逢わっでいがった! 」 感激のあまり目が潤みました・・・口下手な私は、気の利いた言葉も返せず、ただ「 いえいえそんな・・・ 」と言うのが精いっぱいでした。心の中では「 自分の信じる家づくりをしていて良かった!! 」と心の底から思った瞬間でした。 そして「 私が手がけた家は私がずっと責任を持って守って行くんだ! 」と自分に誓いました。その為に私達は存在し続けなければならないのです!
scene.7
家守りとして存続していくために

私達は住宅づくりを商売としているのですから、無報酬無利益では行えません。私達の必要な利益とは、しっかりとしたポリシーをもって工事をして、実用性をもった住宅を提供した事に対する「 対価(利益) 」です。そして、その利益を次のお客様へと繋いでいき、地元のお客様の家を守り続けて行く事が私たちの仕事なのです。そして自社を売る為、お客様の気を引く為の美辞麗句を並べたてる技術を磨くのではなく、建てた者の責任としてお客様の家を末永く守って行ける技術を磨き、次の世代にその技術を継承していく事が使命なのです。
お客様は人それぞれです。求めるものも人それぞれです。
しかし「 半生を掛けてローンを払う生涯の大事業 」という事だけは共通しているのです。
いい住まいとは何か!?
だれのための何のための家づくりか!?
それは家族が幸せに住まうために築く家を提供する事が家づくりの原点なのだと結論に達しました。私達の技術と家づくりの知識は「 家族が幸せに住まうための家づくり 」の為です。そのためには今まで継承してきた技術をさらに高め、時代にあった新しい技術と知識を追求します。私達は「 家族が幸せに住まうための家づくり 」という想いで家づくりをします。
理念
顧客主義で価値を創造
お客様が幸せに住まう為の家づくり、お客様目線で常に価値を創造していきます。
信じて和を重んじる
人間としての魅力を高めお客様から愛されるチームを常に追求します。
地域主義
自然環境に配慮し地域から存在価値を認められる会社を追求します。
仕事と使命
☆お客様とそのご家族の笑顔を守り続ける住宅をご提供する。
☆お客様にとって本当に必要な住宅をご提供する。
☆腕に溺れる事無く家づくりの知識と技術を常に追い求め、お客様に最良の家をご提供し続ける。
☆お客様の身になり子育て世代にも満足してもらえる適正価格で強固な家をご提供する。
☆お客様が次の世代に誇れる家づくりをご提供する。